過去の話

昨日は自己紹介とブログの内容について書いたので

 

今日からは過去に着いて書いていこうと思う。

 

 

 

まあまあな英才教育の家に生まれた自分。

 

母は自分の学歴が低いので子供にはそんな思いはさせたくないって思いで小さい頃から大量の習い事をさせられた。おねーちゃんは生まれた頃から英語を習っており他の習い事も全て完璧にこなしていた。

 

しかし、自分はどの習い事も続かなかった。でも、4歳から小学校受験のためにならい始めた塾は、受験が終わるまで続けられた。もう、ほとんど記憶なんてないがいつも泣きながら行っていたのを思い出す。

 

 

 

最初は家の近くの保育園に通っていたが小学校受験のためにある程度の幼稚園の名前が欲しく転園した。そこから自分の人生が動き出した。年中さんから入った事と人見知りだったこともあり喋れる友達はなかなか出来なかったのをよく覚えている。

 

毎日幼稚園に行くのが嫌だった。朝迎えのバスの時間になるとよく泣きながら逃げていた。でも母は無理やりバスにのせていた。あの時何を思いながら母は泣いてる自分をバスに乗せていたのかな。

 

そんな日々が続く中事件は起きた。ある日幼稚園の給食でピーマンの料理が出た。ピーマンは嫌いだ。給食は自分で取っていって席まで持っていく形式で自分もお皿を手に取ったが向こうの方がピーマンが少なかったので変えようとした。しかし、先生は手に取ったのは食べさないって言ってきて。何も言えない自分は渋々席についた。案の定みんなが食べ終わり遊んでる中最後まで食べれず1人残らされていた。

その頃か母の話によるとカウンセリングによく連れて行っていたらしい。何故かはわからないが。

 

 

無事小学校受験に合格した自分は春から小学校に通いだした。

 

ここで自分の人生に記憶に残る1人目の人と出会う。担任の先生だ。とても大好きだった。

 

担任の先生に言われた言葉の中に2つ覚えていることがある。1つ目みんなの前で先生が話したポジティブ、ネガティブだ。その時丁度何かに悩んでいた。何かは思い出せない。いつも悲観に考えてしまう自分に言われたそんな気がした。

2つ目はある日ドッチボールを休み時間にしていたらコートが相手の方が広かったらしく線を引いていた女の子にキレて暴言をはいたらしい。まじで記憶ないwそんな時先生は「やった側はすぐ忘れるけどやられた側は忘れられないよ」その時はそっかー程度にしか考えていなかったが歳を重ねてくうちすごく意味のわかる言葉となった。

 

 

勉強面ではとてつもない落ちこぼれだったらしい。

小1の夏休みは自分だけ漢字のドリルと計算のドリル余分に宿題があったのをおぼえている。

 

 

秋と冬の間頃から長く続いた習い事の1つ。

 

バドミントンを始めた。今思えば多分バドは才能があったんだと思う。習い始めて直ぐに前から習っていた同年代や1個うえの歳の人達を抜かして行った。

すごく色んな人から才能があるってもてはやされた。そこ自分にスイッチが入ると思いきや親にスイッチが入ってしまった。バドを始めたところは木、土曜日しか練習がなく月、火、水、金、日曜日は他県の実業団があるジュニアチームに毎日高速に乗って行っていた。放課後も遊ばしてもらえなかった。遊んで帰ってくるとよく怒られていたのを思い出す。バドは楽しかった。でもよく仮病で休んでいたなあ笑

 

 

基本的な考えとして「学校に行きたくない」があった自分は休みながらも何とか行っていた。もちろん仮病を使っていた。 

 

小3のお正月頃から中学校受験に向けて塾をならい始めた。これが長く続いた習い事2つ目だ。最初は親の言われるがまま通っていた。

でも塾で会える友達達との仲も良くなり塾に行くのが楽しかった。自分の中で受験に対してのスイッチが入ったのは小4の頃。上のクラスに行った時だった。バドもやめた。正直勉強も楽しかった。わかる感覚がすごく良かった。

まあ学力は中の中くらいだった。受験に本腰が入っものの自分は小学校4年生のただの男の子だ。放課後すごく遊びたかったしゲームもしたかった。その頃はDS、3DS、夜塾で帰るのが遅いためスマホを持っていた。誘惑は多かった。よくかく隠されていた笑

 

小5になった頃ずっと通っていた塾を変えた。多分学力が上がらなかったからかな。

 

体調不良が多くなった。病院に行き色んな検査を受けた結果、起立性調節障害過敏性腸症候群な事がわかった。しんどい時に体温を測って熱があった時一気にしんどさが増すのと同じで自分が病気ってことが分かると一気に学校にも行けなくなった。朝も起きれなくなった。塾の成績も上がらなくなった。なんなら下がって行く一方だった。親はもっともっと勉強って言うようになった。勉強はめっちゃしてた。毎日塾にも行ってた。日曜日も朝から夜までずっと塾にいた。成績が上がらないのが悔しかった。しんどかった。

今思えば勉強の仕方とモチベが悪かったんだと思う。

 

この頃ぐらいからかなずっと続けてた塾を辞めたいと思い始めてきたの。そして、これくらいの時に世の中は結果やって事を知った。最初は辛かった。こんなに勉強してるのに成績が上がらないだけで勉強してないと決めつけられる。でも、今は納得出来る。親もバカみたいな金を払って行かせてるから結果は出して当然。いや、出せて当然だった。親も焦ってたしいらいらしてたんだと思う。

 

何でも基本器用に努力もせずにこなせて調子に乗っていた自分が始めて挫折を味わったのがこれだった。

 

 

小6になり塾に行き始めた頃からずっと目指していたし行けると思っていた志望校を変えた。受かるのは分かっていた。それくらいレベルの低い中学だったから。でも、勉強は辞めなかった。もしかしたら目指していたところに行けるかもしれないから。小6の秋?冬くらいからかなずっと昼から遅れて行ったり休んだりしてた小学校に全く行かなくなった。

レベルの低い中学に特待生を狙っていた自分。受験当日。インフルになるwwww受験は途中で倒れて退場wwwwwwww衝撃よね。小3から全てを我慢して費やしてきたのにまさかのインフルで途中退場wwww

 

まあ特待生ではなかったけど受かってはいた。

 

 

 

今日はこのくらいにして明日中学編にする。