太陽の話

 

今日はこの前の日曜日あった出来事について話そうと思う。

 

 

金曜日の夜中友達2人と自分合わせて3人とゲームをしてオールした。

 

土曜日の朝の7時くらいに今から集まらん?ってなり急遽1人の家に行くことになった。結局その日も寝ずに遊び明日朝日を見に行くことになった。

寝てしまったら起きれなくなる可能性があったのでまたおーるした。

 

友達といるといつも病む夜中でも病むずにいられる。

 

 

 

朝5時家を出た。目的地は近くの観光地にもなっている橋の上だ。

 

まだ外は暗い。橋に着くと東の方がほんの少しだけ明るい

 

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友達とうだうだ話しながら約1時間くらいがたった

まだまだ出てこないw

 

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これくらいになってからがまためちゃくちゃ長い。

 

ふっと気になったことがあった。

 

「なんで朝日とか夕陽って赤いんやろ」

 

心の中で思ってたはずが口に出ていた。友達は

 

「周りが暗いからちゃう?」

 

自分???ってなる。

 

調べてみた。

太陽から出される光は紫から赤までのスペクトルがあるらしい。

赤の光は波長が長く青の光は波長が短い。

太陽から出て光は空気の層を通って自分たちの目に来る。

その空気の層には赤い光を直進させ青い光を散乱させる性質がある。

日中太陽は真上に存在し朝日、夕日は斜めに存在する。

つまり、進まなければならない空気の層の厚さが違う。斜めは真上よりも多く空気の層を進まなければならない。

だから青い光は散乱させられ赤い光が多く自分たちの目に届く。

だから朝日、夕日は赤いらしい。

 

それに伴い空が青い理由もわかった。

 

日頃生きていると当たり前な事もふっと疑問に思うこともある。そういうことを調べるのが以外に好きで楽しく感じる。

 

そういうことを調べているとだいたいいつも脱線してしまって必要でないことも頭の中にインプットされて行く。少ない頭の容量を無駄にしている気がする。

TikTokを見ているとかわいい子が出てきて保存するもののもー見ることは無い。みたいな感覚だ。

 

 

そーこーしてるうちに朝日は出てきた。

 

とても眩しく綺麗だった。

 

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木曜の夜寝た以来寝てない自分には痛く刺さった。

 

してみたいことが増えた。

 

日本を車でゆっくり回り美味しいものをいっぱい食べ綺麗な景色を見る。

 

生きる目標が1つ増えた。

 

明日は何をしようかな

 

 

今したい事

過去の話は飽きちゃったから今したいことについて書く。

 

正直夢がない。自分の得意なことも分からない。将来何をして生きていけばいいのかも分からない。

 

 

だから今はしたい事をしてみる。そのためにはお金が必要。じゃあバイトしよってローテションで生きて行っている。

 

まずは行ってみたいとこかな。

1つ目は南極。

 

やっぱり自然が好きってこともあるし人がふつーに行けないところに行ってみたいって思いから南極が出てきた。

1番メジャーな生き方はアルゼンチンかららしい。なんか届け出とか色々ややこしいことあるらしいねんけどあんまわからへんから行くってなったらしっかり調べていかなあかんなって思ってる。

ちなみにまぁまぁお金かかるらしい。10日間位で100万くらいいるらしい。。。

 

 

2つ目はアウシュヴィッツ

 

白い巨塔ってらドラマ知ってる?なんか昔のドラマで医学系のドラマやねんけどそのドラマ中にアウシュヴィッツに行かはるシーンがあるねんけど凄い衝撃を受けたんを覚えてる。見た時からいつか行ってみたいって思った。

あと自分は戦争系に凄い心に感じるものがある。原爆ドームに行った時もそうやし731部隊の本を読んだ時もやしなんか言葉では言い表せないけどなんか感じる。だから、それが何なのかが分かるまでは負の遺産とかには足を運びたい。その第1歩としてアウシュヴィッツを選んだ。

 

3つ目はインド

 

インドは絶対行った方がいいって色んな人に言われる。中2の頃めっちゃ仲良かった社会の先生インドで教授してたらしくてお前は絶対にインドに行った方がいいってよく言われてた。なんか、中2の頃にああ、ここで何してるんやろ。って思って海外に留学したいって思ってなんかその時は今しかないような気がして結構真剣に行こうと思ってたけどその先生が

 

「今じゃない」

 

って言ってくれて。なんか、その言葉がすっごい重くて心に響いたのを覚えてる。

その先生曰くインドは選ばれた者しか行けんらしくて先生も20代の頃に申請したけど申請が通って行けるようになったのは30代後半やったって言うてた。

 

自分がインドに行けるのはいつなんやろ。

 

4つ目は内戦してる国。

 

これも2つ目の動機に似てるものがあるし。あとは今このときを生きてる。でも今も尚人同士が殺し合いをしてる。

そっから目を背けていいのかなって自分の中で何かが引っかかる。この目で生で見てみたい。世界を世の中を。

 

次からはしてみたいこと!

 

1つ目はタイムズスクエアで年越し

 

昔動画を見た事があった。あれを生で見てみたい。ただそれだけ。

 

2つ目はバンジージャンプ

 

よく死にたいって思うしそれを口に出しちゃうし死ぬのとはまたちゃうけど感覚的に味わえるかなって。自分はビビりやから死ぬとか多分無理やけどバンジージャンプならいけそう。

 

3つ目はスカイダイビング

 

イッテQでよく見る!してみたい笑

 

 

 

今はそれくらい。またしたい事とか行ってみたい所が出来たら書いていきたいと思う。

こんなことしてみたよって言うのも書いてみる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去の話 Part2

こっからは中学生編

 

 

インフルの中何とか合格した中学。予想はつくものの1年の9月から休みがちになった。 

 

12月からは1回も行かなくなった。家でずっとゲームをしていた。

 

ある時パソコンを触ってる時にある広告を見た。

 

 

山村留学だ。

 

 

この広告で人生が変わり始めた。

 

中1の2月13.14日標高600メートル1番近いコンビニまで車で2時間の場所にある寮に短期体験留学をしに行った。とても楽しかったのを覚えている。即中2から行くことを決めた。

 

今でも忘れない中2の4月6日入寮。7日始業式。8日土曜日。

寮に入り3日目で死にかけることになる。

 

その日お昼から先輩たちに誘われ寮裏の山に登ることになる。獣道をひたすらに進む。崖を飛び降りる。都会で育った自分には初めて味わった大自然。とても刺激的で楽しかったことを覚えている。

 

しかし、自分達は帰り道が分からなくなっていた。崖の下を覗く。はるか下の方にぽつんと寮が見える。

 

「帰り道わからんからこっから帰ろ」

 

1人の先輩のその一言で地獄が始まった。数メートルの崖を難なく飛び降りていく先輩たち。

初めての経験だった。怖かった。しかし、帰る以外生きる道がなかった。そこら中傷だらけだ。

 

川に出た。すっごく安心したのを覚えている。その土地の氏神様の神社の裏に出たのをおぼえている。

 

後にその神社が祀っているのは「導きの神様」としり初めて神様の存在を感じることになる。

 

寮では初めてのことばかりだった。毎日が新鮮でとても楽しかった。心のどこかで重荷に感じでいた親からも距離を置くことが出来た。

すごく体調もよかった。

 

自分を理解してくれる人も出来た。とても居心地がよかった。初めて自分がここにいて良いと思える場所ができた気がした。

 

 

うーん。なんか過去の話飽きたし違うのを書きたい!

 

次のはいましたいことについて書く!過去の話はまた今度

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去の話

昨日は自己紹介とブログの内容について書いたので

 

今日からは過去に着いて書いていこうと思う。

 

 

 

まあまあな英才教育の家に生まれた自分。

 

母は自分の学歴が低いので子供にはそんな思いはさせたくないって思いで小さい頃から大量の習い事をさせられた。おねーちゃんは生まれた頃から英語を習っており他の習い事も全て完璧にこなしていた。

 

しかし、自分はどの習い事も続かなかった。でも、4歳から小学校受験のためにならい始めた塾は、受験が終わるまで続けられた。もう、ほとんど記憶なんてないがいつも泣きながら行っていたのを思い出す。

 

 

 

最初は家の近くの保育園に通っていたが小学校受験のためにある程度の幼稚園の名前が欲しく転園した。そこから自分の人生が動き出した。年中さんから入った事と人見知りだったこともあり喋れる友達はなかなか出来なかったのをよく覚えている。

 

毎日幼稚園に行くのが嫌だった。朝迎えのバスの時間になるとよく泣きながら逃げていた。でも母は無理やりバスにのせていた。あの時何を思いながら母は泣いてる自分をバスに乗せていたのかな。

 

そんな日々が続く中事件は起きた。ある日幼稚園の給食でピーマンの料理が出た。ピーマンは嫌いだ。給食は自分で取っていって席まで持っていく形式で自分もお皿を手に取ったが向こうの方がピーマンが少なかったので変えようとした。しかし、先生は手に取ったのは食べさないって言ってきて。何も言えない自分は渋々席についた。案の定みんなが食べ終わり遊んでる中最後まで食べれず1人残らされていた。

その頃か母の話によるとカウンセリングによく連れて行っていたらしい。何故かはわからないが。

 

 

無事小学校受験に合格した自分は春から小学校に通いだした。

 

ここで自分の人生に記憶に残る1人目の人と出会う。担任の先生だ。とても大好きだった。

 

担任の先生に言われた言葉の中に2つ覚えていることがある。1つ目みんなの前で先生が話したポジティブ、ネガティブだ。その時丁度何かに悩んでいた。何かは思い出せない。いつも悲観に考えてしまう自分に言われたそんな気がした。

2つ目はある日ドッチボールを休み時間にしていたらコートが相手の方が広かったらしく線を引いていた女の子にキレて暴言をはいたらしい。まじで記憶ないwそんな時先生は「やった側はすぐ忘れるけどやられた側は忘れられないよ」その時はそっかー程度にしか考えていなかったが歳を重ねてくうちすごく意味のわかる言葉となった。

 

 

勉強面ではとてつもない落ちこぼれだったらしい。

小1の夏休みは自分だけ漢字のドリルと計算のドリル余分に宿題があったのをおぼえている。

 

 

秋と冬の間頃から長く続いた習い事の1つ。

 

バドミントンを始めた。今思えば多分バドは才能があったんだと思う。習い始めて直ぐに前から習っていた同年代や1個うえの歳の人達を抜かして行った。

すごく色んな人から才能があるってもてはやされた。そこ自分にスイッチが入ると思いきや親にスイッチが入ってしまった。バドを始めたところは木、土曜日しか練習がなく月、火、水、金、日曜日は他県の実業団があるジュニアチームに毎日高速に乗って行っていた。放課後も遊ばしてもらえなかった。遊んで帰ってくるとよく怒られていたのを思い出す。バドは楽しかった。でもよく仮病で休んでいたなあ笑

 

 

基本的な考えとして「学校に行きたくない」があった自分は休みながらも何とか行っていた。もちろん仮病を使っていた。 

 

小3のお正月頃から中学校受験に向けて塾をならい始めた。これが長く続いた習い事2つ目だ。最初は親の言われるがまま通っていた。

でも塾で会える友達達との仲も良くなり塾に行くのが楽しかった。自分の中で受験に対してのスイッチが入ったのは小4の頃。上のクラスに行った時だった。バドもやめた。正直勉強も楽しかった。わかる感覚がすごく良かった。

まあ学力は中の中くらいだった。受験に本腰が入っものの自分は小学校4年生のただの男の子だ。放課後すごく遊びたかったしゲームもしたかった。その頃はDS、3DS、夜塾で帰るのが遅いためスマホを持っていた。誘惑は多かった。よくかく隠されていた笑

 

小5になった頃ずっと通っていた塾を変えた。多分学力が上がらなかったからかな。

 

体調不良が多くなった。病院に行き色んな検査を受けた結果、起立性調節障害過敏性腸症候群な事がわかった。しんどい時に体温を測って熱があった時一気にしんどさが増すのと同じで自分が病気ってことが分かると一気に学校にも行けなくなった。朝も起きれなくなった。塾の成績も上がらなくなった。なんなら下がって行く一方だった。親はもっともっと勉強って言うようになった。勉強はめっちゃしてた。毎日塾にも行ってた。日曜日も朝から夜までずっと塾にいた。成績が上がらないのが悔しかった。しんどかった。

今思えば勉強の仕方とモチベが悪かったんだと思う。

 

この頃ぐらいからかなずっと続けてた塾を辞めたいと思い始めてきたの。そして、これくらいの時に世の中は結果やって事を知った。最初は辛かった。こんなに勉強してるのに成績が上がらないだけで勉強してないと決めつけられる。でも、今は納得出来る。親もバカみたいな金を払って行かせてるから結果は出して当然。いや、出せて当然だった。親も焦ってたしいらいらしてたんだと思う。

 

何でも基本器用に努力もせずにこなせて調子に乗っていた自分が始めて挫折を味わったのがこれだった。

 

 

小6になり塾に行き始めた頃からずっと目指していたし行けると思っていた志望校を変えた。受かるのは分かっていた。それくらいレベルの低い中学だったから。でも、勉強は辞めなかった。もしかしたら目指していたところに行けるかもしれないから。小6の秋?冬くらいからかなずっと昼から遅れて行ったり休んだりしてた小学校に全く行かなくなった。

レベルの低い中学に特待生を狙っていた自分。受験当日。インフルになるwwww受験は途中で倒れて退場wwwwwwww衝撃よね。小3から全てを我慢して費やしてきたのにまさかのインフルで途中退場wwww

 

まあ特待生ではなかったけど受かってはいた。

 

 

 

今日はこのくらいにして明日中学編にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

初めまして。

 

 

はじめに自己紹介とブログの内容を書きます。

 

自己紹介

もうすぐ18歳のにーとです。

高校は行き始めて4ヶ月でなんか違うなーって思い行かなくなってその年の終わりに辞めました。

現在は去年の11月から続けてたバイト先がコロナで人がいらないって事で家でゲームをして夜中に病んでの繰り返しの生活をしてます。

 

このブログは昔から自分の存在意義が分からなく生きてる価値を見いだせない自分が自分のしてみたいこと経験したこと感じたことなどを通して自分の存在意義を見つけていくまでの記録です。

 

今日は昨日の24時から3時まで寝れたものの起きてしまってもー寝れなくなってしまった。ずっと色んなことを考えている間にどんどん病んでいった。色んなこととは将来の事だ。これからどーやって生きていくのか何がしたいのか分からない自分の永遠の問いだ。

しばらく考えることを放棄したく人生初めてのヒトカラに行ってみた。自分が歌うよりかは本人Live映像を見る方が多く好きな歌手のLive映像はたまらなかった。

 

まじでAK69のAnd I Love You Soはたまらん号泣不可避

この歌は中学生の頃よく聞いていた歌です。

 

そう言えば中学生の頃の話もしてみたい。明日にしますね。

 

これから末永くよろしくお願いします😑